一日は一生。私は今日まで、22,300日ほどの人生を生きてきました。穴水町比良(びら)という小さな集落の農家に生まれ、小学生時代は毎日海川野山を駆けまわる野生児でした。中学生時代に思春期を迎え、高校生時代は金沢市、大学生時代は東京で過ごしました。
輪島高校とのご縁は、平成13年4月定時制勤務に始まります。生徒たちは大変優秀で学習意欲も高く、私の研究授業では「すべて英語による劇」を4年次生全員で見事にやり遂げてくれました。そのような素晴らしい生徒に触発され、また、小橋明直第20代校長先生からの勧めもあり、「能登の民話」を調べ集めて英語訳し、教材として授業で活用しました。当時、その手作り英語教材がその後20年以上も使われ続けることになるとは夢にも思っていませんでした。また、輪島漆藝作家の高名秀人光(ひでみつ)振興会会長様のご指導を受けて自作した沈金風景画パネルは、今でも我が家の玄関に掛かっています。
平成16年4月に全日制勤務となり、浦一正教務主任(第25代校長先生)の下、副主任として学力向上のための学習時間調査や、伯耆忠安第22代校長先生の下、教務主任として「生き方の探究~逆転の小論文~」に取り組み、表純一第23代校長先生・左古隆第24代校長先生の下では「新生輪島高校」の誕生に教務主任・学年主任として微力ながらも「チーム輪高」の一員として加わることができました。その後、時代の移り変わりとともに、教頭で2年、校長で2年、合計15年を輪島高校にて勤務させていただき、令和4年3月をもって定年退職いたしました。
輪島高校で過ごした私の5,500日ほどの日々は、一日一日が忘れることのできない輝かしい宝石のように感じられます。最高に楽しかった輪高祭・体育祭、一日も休みがなかった部活動、エメラルド色に輝く沖縄修学旅行の美ら海と豪雨の沖縄、補習と模擬試験に明け暮れた日々、PTA研修旅行での温泉宿、脚が棒になったチャレンジウォーク等々、その一日に一生の価値があるように思われます。どの日も、必死に生きた一日。同じようであっても、全く別物の掛け替えのない一日が、そこにありました。
長い歴史と栄えある伝統に輝く輪島高校は、大正12年(1923年)に県立輪島中学校としてスタートし、同窓生は輪島実業高校の5,328名を含めて約2万4千名に上ります。昨年より始まった輪島市の「高校魅力化プロジェクト」により、輪島高校はその輝きを一層増しています。輪島高校創立100周年にあたり、関係各位に深謝いたしますとともに、輪島高校と皆様の益々のご発展・ご健勝を祈念し、お祝いの言葉といたします。